マーケティングの前提は間違っている?潜在下にある意識の重要性を見直したい2019。~あくまで個人的な話~

マーケティングの前提は間違っている?潜在下の意識の重要性を見直したい2019。

2019年。

日本では天皇陛下が退位し元号が変わる、大きな変化の一年だ。

まったく個人的で誰も興味がない話をすると、35歳を迎える自分にとっては、いよいよアラフォーという階段を昇ることになる。

いつまでも若手のようにはいかない。期待されることも、なにもかもが変わってきた世界で、あえてこう考えるのだ。

「昔から感じてきた違和感の正体を、暴きたい」と。

そんなわけで今回は2019年の初めにあたり、少し個人的な考えを書き綴ろうと思う。

”マーケティング” に感じる違和感

ことデジタルの時代になってからというもの、「効果が可視化できる」「投資対効果(あるいは費用対効果)が明確である」ことは、マーケティングにおいて重視されてきた。

そうして我々は、CVR、CPC、CPA…といった略語で表されるさまざまな数字を追いかけ、あるいは振り回されながらマーケティングの世界で戦っている。

だが、その「効果」の定義は、本当に正しいのだろうか?

言い換えれば、直接的な数字に見える効果だけが、本当に「効果」なのだろうか?

この時にCVに至らなくても、いつか購入する候補となった可能性もある。もっと言えば、「マイナスの効果」を生み出している場合が考慮されているのか?という点だ。

1万人の顧客を得るために、10万人が「絶対このブランドは買わない」と思っているのだとしたら?

よく考えれば、CVRが1%とすれば、99%はCVしない接触が生まれているわけなのだ。

人の行動はそんなに単純ではない。まして、行動だけではなく、人の意識や思考まで含めば、「可視化できている」「データが効果を反映している」などというのは、マーケティングを都合よく進めるための方便のようなものだ。

マーケティングの世界において計測できている数字以外にも、さまざまな「効果」は確実に波及しているはずなのだ。

つまり、「効果が可視化できる」「投資対効果が明確である」などということは、「効果」をすべて正しく認識できる環境においてこそ成り立つ理論であって、現実には人間のすべてがーーそれこそマンガやアニメの舞台になる世界のようにーー管理可能な社会にでもならない限り、成り立たない話ではないだろうか?

なのに、マーケティングには「効果が可視化できる」「投資対効果が明確である」ことが求められ、それぞれの施策ごとに「効果」が「投資」に見合うかどうかを判定しようとしていたりする。

また一般的には「効果が見えない」ものは「投資判断ができない」ため、基本的に投資の対象となることはないだろう。本当は「見えない効果」が最重要であったとしても、それを生み出す施策は打てない(または打っても、投資対効果が悪いと落第扱いになってしまう)。

こんなにナンセンスなことはないと思うのだが、多くの人はそれに疑問を抱いていないように思える。

そしてこの問題をさらに複雑化する、もうひとつの問題がある。

人間が「自分でコントロールできていると思う」のは神話。95%は「意識していない」という真実。

脳科学の世界が人間の脳を解明するにつれ明らかになったのは、「人は自分が思うより自分をコントロールできていない」ということである。

そもそも、あなたが目で見ているものと脳で認識しているものは違う、と言われたらどうだろう?

「そんなことはあり得ない!」と思うだろうか。

だが実際には目で見ている像を脳が修正したものを「目で見えているもの」として認識している。よくある「錯覚」を生かしたアートなどは、目ではなく、脳の学習を利用し、それをだますものだ。これが事実だ。

目で見ているものさえそうなのだから、その先に生まれる人間の行動などは「自分の意識していない脳の働き」の影響を受けている前提で考えるべきだろう(実際、歩くということを想像してほしい。あなたはひとつひとつの筋肉をどう動かすか考え、意識的に指示を出しているだろうか?あるいは、その必要があるだろうか?)。

一説によれば、人間の脳の90%~95%は人間が自分では意識しない潜在下において、思考・認識などを司っている。つまり「自分が意識的にコントロールしている」範囲は10%にも満たないのだ。

これは重大な決定の際にもそうだ。論理的に考え、慎重に比較検討して決定していると自分では思っていても、実は自分で意識していない情報・感情・直感・思考・連想の影響は確実に及んでいる。

意識していない(できない)から本人にも分かっていないだけで、実際に起こっているのは「潜在意識の影響を受けて決定したことを、顕在化している意識で正当化している」という方が正しい。

言ってしまえば「なんとなくカッコ良いから、気に入ったから」買っているのが真実で、その理由は潜在意識にあるため本人も良く分かっていない。

しかしそれを正当化するために「このブランドが品質が良い」だとか「相場より安くてお得」だとか「口コミが良かった」などと後から理由をつけている、ということだ。

人々は勝手になんとなく買う。それは習慣的な場合もあるし、なんとなく目についたからという場合もあるし、なんとなく好きだからという場合もある。

本当の理由は、誰にも分からない。

でもマーケターは、マーケティングは、「消費者の意識や認識、行動をコントロールできる」という前提でさまざまな施策を立て、実行し、効果(本当は自分たちが効果として定義しているに過ぎないもの)を計測している。

このことは本当に正しいアプローチだといえるのだろうか?「消費者自身が、自分の意識や認識、行動のほとんど(90%以上)をコントロールできない」というのに。

ざっくり言えばこれが、僕の違和感だ。

では、マーケティングはどうあるべきなのか。その解決策を探る

大変残念なことに、この違和感を解決するには致命的ともいえる難点がある。

というのは、マーケティング施策や投資の意思決定を行う側が、「自分が認識できないもの」にどうアプローチするのか、あるいはどれくらいのリソースを投資するのかと向き合わなければならなくなるからだ。

「自らもふだん意識していないし、どう影響しているかよく分からない」からこそ潜在意識なのである。まして「どんな効果があるか」測定するのは困難を極めるし、想像できる人がいると期待するのもまた難しい。

少なくとも現状のマーケティングの常識において、「潜在意識へのアプローチのための施策」を提案したところで、「無駄だ」とか「効果が分からないものに投資はできない」という話になり、却下されるのがオチだろう。

よってこの話は、少なくとも施策ドリブンの世界ではまったく相手にされないことにはまちがいない。

しかし、僕に言わせればそれは、施策ドリブンの限界を示すものであり、施策ありきのマーケティングの誤りを指すものである。

施策とその効果測定ありきのマーケティングでは、人間の意識のうち、顕在化している(=本人が認識している)たかだか10%にしかアプローチできていないのだ。

そして、その顕在化した部分を奪い合い、その認識や行動をめぐって争っている。もちろん、そのことも重要であり、競合する競争相手が同様にアプローチしてくる以上、負けないようにする、ということも必要だろう。

ーーだが。もうその世界には終わりが見えているとしたら?

多くの消費者は広告を嫌い、あるいは飽きている。必死になって関心を惹こうとすればするほど、嫌われることもある。良かれと思って打ち出したコピーが炎上することも、めずらしくない。

人々の「意識」や「関心」を巡って争い、広告とその効果を施策と数字ベースで評価することにとらわれ、思考停止してしまっていないだろうか?

では、どうすれば良いのか。

僕が考えるに多くの場合、マーケティング投資に新たに「潜在意識へのアプローチ」という項目を追加することは難しいだろう。

しかし、マーケティング投資の配分を変えること自体は、可能なのではないだろうか?

重要なのは、人を動かす「顕在化した意識」「潜在下の意識」、双方へのバランスの取れたアプローチをどのように行うのか、到達したいゴールに基づいて全体設計を明確にすることだ。

そして、全体として達成したいゴールに到達したかどうか、その点を評価軸に置く。決して施策ごとに同じような物差しで測った指標や数字だけで評価するようなことはしないことだ。

施策の評価についていえば、それぞれの施策の存在意義の仮説を立て、仮説に基づいて効果を検証することや、全体設計のなかで相対評価をし、有効だったものとそれほど効果的でなかったものを見極めていくこともできるだろう。

「潜在下の意識」へのアプローチについていえば、脳科学的なアプローチ等を用いることである程度推測することもできるとはいえ、明確な数値化・定量化は難しいと考えておいた方が良いだろう。

とはいえ、その影響は各自の実感値・体感値として理解することができるはずだ。空気が悪い、あるいはすがすがしい空気だと、目に見えない空気について語ることができるのであれば、何もこれは不思議なことではないだろう。

多くの人にとっての問題は、ーーもちろん、すでに実践し成果を上げ「自分たちなり」の正解を見つけているケースもあるのだろうがーーこの考え方に基づいた全体設計にも、その評価にも、確立されたものは今のところ恐らく見当たらないであろう、ということだ。

いやひょっとすると今後もこの点についていえば、正解のようなものは見つけられないかもしれない

だが、それでも僕は「潜在下の意識」へのアプローチやその効果、そして評価方法について追求していくことで、「マーケティングの前提といわれるものが、そもそも間違っているのではないか?」ということに向き合っていきたいと、あらためて考えている。

なぜなら、マーケティングの対象は「人間」であるからだ。

マーケティングする相手が「人間」である以上、マーケティングの未来は、デジタルやデータ、数字の先ではなく、「人間」を理解した先にある。

そしてそのカギは、「人間の意識の90%以上を占める潜在下の意識」にある。

僕は、そう思っている。

カトウマモル

セキュリティエンジニア、社内SE、社内システム&マーケティング・広報担当マネージャー、コンテンツマーケティングのコンサルタントなどを経て、現在は奄美大島でリモート幽霊社員生活を満喫中。

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