データだ。そうだ。データこそ、マーケティングの未来を照らすのだ。テクノロジーの進歩により、ビッグデータの蓄積が可能となり、分析が可能となり、いまやAI(人工知能)により、瞬時に現状を分析した上で取るべき対応や施策を知ることができる時代になろうとしている。そうだ、データこそすべてなのだ。
――本当に?たしかにデータは重要なもので、近年のマーケティングテクノロジーにおいて――たとえばMA、DMP、CRM、CCCMといったツールにおいて不可欠であるように――欠かすことのできない存在だ。
しかし一方で、データは万能ではなく、データだけに囚われると思わぬ失敗につながりかねないのも事実なのではないだろうか。世の中にはデータでは測れないものがあるのだ。科学が万能ではないように、あるいは魔法が存在する可能性を誰も否定できないように。
データは必要だ。だが、限界もある。だからこそ、マーケターには適切な判断が求められる。では、マーケターはどのようにデータと付き合えば良いのだろうか?
データ分析・解析の目的、データの役割を明確にする
マーケティングにおいて、データに「どんな役割を果たしてもらうのか」を定義することは、データとうまく付き合っていくために重要なことだ。
当然、シチュエーションや扱うデータによって役割は変わって良い。肝心なのは、「今見ているデータは何の目的で見ているか」がハッキリしていることだ。
たとえばWebサイトのアクセスデータがある。これを何の目的で見るのだろうか。アクセスの傾向をつかむため?増減の状況を把握するため?ユーザーの層やアクセスされているタイミング(日付や時間帯)を知るため?それとも、今後の施策に向けた仮説立てのためだろうか?
当然、データから何を得たいのか、どんな情報が欲しいのかによって、扱うデータ自体やその分析の観点が変わってくる。逆にいえば、目的なきデータ分析は、手段の目的化を生む。「データを分析することそのもの」が目的となるのだ。
そうなるとここからは笑えない喜劇が始まる。マーケターはどんどんデータに振り回されていき、気づけばデータの分析結果だけが蓄積され、どこの何にも活かされていないということが起こりかねない。
たとえばバレーボールはデータ活用が進んだスポーツだ。試合中のデータがリアルタイムにベンチのコーチ陣に与えられていく。タブレット端末をヘッドコーチが持っている様子をテレビなどで見たことはないだろうか。まさに、あれが試合中のデータが送られている端末なのだ。
しかし、コーチ陣がそのデータに振り回されているとしたらどうだろう?対戦相手の攻撃パターン、自分たちの攻撃パターンとその成功率をひたすら追いかけ、データを分析しつづけ――それに追われるあまりデータに振り回され、選手たちに作戦をなにも伝えないまま――試合が終わったとしたら、そのデータ分析に意味はあるといえるのだろうか?あるいは、そのチームが勝てそうだとあなたは思うだろうか?
デジタルマーケティングが発達したことにより、データは無限にさえ取得可能だ。だからこそ、データをどのように用いるのか、何のためにデータを分析したり、解析するのかが明確でなければならない。分析・解析した結果が、何につながるのかが見えている状態であることはとても大切なことだ。
データベースもデータも重要だが、すべてではない
そう、データベースは今の時代のビジネスに欠かせないし、マーケティングにおいてはなおのこと重要な存在だ。データを活用することで、期待できる効果は飛躍的に上がるケースがある。それは事実だ。事実なのだが――
一方で、データがすべてではないこともまた、事実なのだ。データは人間のすべてを語るわけではない。つまり、消費行動や購買行動のすべてがデータから分かるわけではなく、データが示しているのはあくまで氷山の一角、事象の表層なのだ。
データに現れている行動、そのものが「なぜ」なのか。それはデータからは推察するしかないし、もっと言えば、行動を取った本人すら正確にそのことを説明することはできないだろう。
たとえば、ある広告を表示したとしよう。こんなデータが取得できたとする。
・30代男性
・東京都在住
・Web閲覧履歴
・ECサイト購入履歴
・広告表示は2回目
・広告クリエイティブは前回と同じ
・広告をクリックしLPを訪問
・LPは読了するが購入には至らず
これだけのデータが取得できれば、いろいろな分析のしかたができる。広告クリックをする人がどういう人なのか、どういう関心事を持っているのか、Webでどんなものを購入しているのか――。
だが、なぜ「1回目に同じ広告が表示された時はクリックしなかったのに、2回目でクリックしたのか」「なぜLPを読了したのに購入しなかったのか」は、データから読み取れないだろう。
ひょっとすると1回目に広告を見た時は忙しかっただけかもしれないし、LPを見て買う気が起きなかったのかもしれないし、買う気はあるが良いタイミングではなかったのかもしれない。あるいはLPの内容が押し付けがましくて、買う気があったのにやめたかもしれない。
いまやオフラインの行動をデータ化し、オンライン上のデータと突合できると言われている時代だが、それでも限りはある。データベースに数え切れないほどのデータが蓄積されているとしても、(少なくとも今の技術やデータでは)分からないことがある。それは人の置かれている環境であり、気分であり、感情だ。
だからまず、データから分かることと分からないことをきちんと認めよう。「データからすべてが分かる」などというのは、データサイエンティストやマーケターの傲慢でしかないのだ。それは「科学はすべてを解決する」と科学者がうそぶくようなものだ。実際は戦争も、貧困も、温暖化も、高齢化も解決できていないというのに。
――話を戻そう。つまり、データは万能ではないし、データに持たせることのできる役割には限りがあるのだ。前提としてこの点を人間が忘れたその時から、データと人間が生み出す夢のコラボレーション(喜劇)が始まる。
そうしてどんどん、本来成すべきことや本質から逸れていき、「データ解析」「データベースへのデータ蓄積」「MAやDMPなどのツールを使うこと」などの手段が目的化していってしまう。その喜劇の果てにマーケティングの成功を願うのであればもう、奇跡を祈るほかない。
データは重要だが、すべてではない。あなたがデータベースから何を見つけ、引き出し、生み出すのかがより重要で意義のあることなのだ。
データが得意なことと苦手なことを見極めて分析し、解析結果を活用する
では、いまや雨あられとデータが降り注ぐ中で、上手に付き合っていくためにはどうすれば良いのだろうか?
基本的に必要となるのは、データが得意なことを見極めることだ。データは万能ではないし限界がある。だが、正しく活用すれば重要で有意義なものだ。だから、データを用いたほうがうまくいくことはそうすればいいし、そうでないのならデータを使わない方法を考えたほうが良い。ただそれだけのことだ。
データは過去や現状に対しては強い。過去の成功パターンや現状の問題点、他者との比較を行う際、たとえば「法則を見出すこと」「仮説を検証すること」「問題点の特定」「傾向の分析」などには適している。
データからどういう結論を導き出したいのか、データからつなげるアクションは何なのか、その点を十分考えたうえで、過去や現状を分析し、最適解を導き出すことはとても重要なことだ。
一方で先程も述べているように「理由の特定」「行動の背景の読み取り」「文脈の構築」などはデータだけでは不十分であり、むしろ補助的な立ち位置とするほうが相応しいだろう。
そしてなにより気をつけて欲しいのが、データは未来を映せない、ということだ。過去から学ぶことも、未来を予想することもできるだろう。あるいは、今を映す鏡としてであればデータは有用だ。だが、必ずしも未来は過去の延長線上にないのだ。
データに囚われることは過去に囚われることと同義となる場合がある。だから、データから未来を導き出すことは相当難しいことが多いし、結局、最後に未来予想図を描くのは人間の想像力や情熱だったりする。
結局は、データをどう活用するのか。その判断がすべてのカギを握るのだ。もっとも、この判断が人間からAIに置き換わる日も、やってくるのかもしれないが。
データ活用はスタート!そこからがマーケターの本番
デジタルマーケティングが発達した現在、データからは逃れられないし、データを活用することはマーケターにとって必要なことだ。
データは嘘をつかないし、データが示すものは変わらない。このことは言い換えれば、データを基にしてたどり着ける場所には限界があり、それだけでの差別化は――データの活用方法で多少の差は出るとしても――困難であるということを示すものでもある。
そう、データを分析し、解析した結果を活用して、そこからどうするのか。そこから、マーケターの本当の戦いがスタートする。
データのその先でどんなアクションを起こすのか。どのようなストーリーを描き、どんなメッセージを伝えるのか。これらの選択こそが、成功できるかどうか、ライバルとの戦いを制することができるかどうかを左右する。
データとうまく付き合うことは、今の――そしておそらく、これからますます――マーケターにとって必要なことだ。その必要性と限界を知ってこそ、初めてマーケティングの世界で戦う権利を得られるのだから。