「自分がしないことを消費者に求める」!?マーケティングを失敗させる誤解・勘違い5例

「自分がしないことを消費者に求める」!?マーケティングを失敗させる誤解・勘違い5例:アイキャッチ

さまざまな企業のマーケティング活動を見ていると、ふと疑問に思うことがある。

「これで、誰が買うんだろう」という疑問だ。

そもそも、マーケター自身が自らの施策、クリエイティブ、メッセージを受ける側にまわった時。

そこになんらかの態度変容や「買ってみたい」という期待や想起を、「自分なら」起こすのだろうか。

当然、ターゲットユーザーがいて、ときにペルソナがあって、そのペルソナに購買を促すためにアクションを取っている…はずだ。はずなのだ。

だが現実には、ペルソナだとか、ターゲットユーザーだとか、そういう次元ではなく「誰が買うんだろう(こんなんで誰も買わないんじゃないか?)」と思うようなアプローチが蔓延っているように思う。

売上を上げるために、より多く買ってもらうために必死で汗を流し、お金も労力も費やしてアウトプットを行っているはずなのに、何故こうなってしまうのだろう?

そこには、いくつかの誤解や勘違いが――ときには複数重なり合って――存在しているのではないかと思う。

今日は、思いつく誤解や勘違いの例について書き綴ってみようと思う。

「良いものは売れる」

そうだ、こんな時代もあった。その当時は、「いかに競合より良いものを作るか」に追われ、猛烈に働いた人も多くいたことだろう。

そしてその働きこそが、売上につながるのだと、信じていた人々も多かっただろう。

――だが、時代は変わったのだ――。

もう大量生産・大量消費の時代ではない。良いものであっても買いたいと思うものでなければ買わない。

それに加え、「良いもの」の定義も変わってきている。ただ便利であることや、機能が豊富であることは多くの場合、あまり重要視されない。

顧客にとって重要なのは「自分の欲求やニーズに合っているか」という点であり、その点が「私にとって良いもの」を決める。

だからこそ、「良いもの」ではなく「ストーリーや体験」をつくることが重要となる。購買を決定するのはプロダクトではなく、コミュニケーションだ。

「お口に合うか分かりませんが、最上の食材です。」というよりも、「旬の食材を、あなたの好きな味付けでご用意しました。」という方が多くの場合、魅力的なのだ。

このことに気づかず、「良いものは買われるはずだ」という前提に立ってしまうことが、大きな誤りの原因となる。

自分自身も「自分に合うものでなければ買わない」いち消費者であるはずなのに、自分が行うマーケティングは「いかに良いものかをアピールする」ことに注力している。

そのマーケティングを受け止める消費者側に自分がまわったとき、彼は(彼女は)どうするのだろうか?

「顧客は悩んでおり、関心を持っているはずだ」

マーケティングにおいて重要となるのは、顧客のインサイトだ。顧客の悩みや関心に対して、商品やソリューションを通じてどう応えるのかは、売上に直結する。

だからこそ、コンプレックス商材、と呼ばれるような商品が爆発的に売れたりする。最近ではいえば「結果にコミットする」というフレーズで爆発的に成長しているあのプログラムがその一例といえる。

だが、ここで気をつけなければならない点がある。それは「多くの悩みや関心事は、行動しようと思うほどのものではない」ということだ。

体型の悩みを持つ人がすべてダイエットを始めるわけではないし、お金の悩みを持っている人がすべて投資に手を出すわけではない。

「悩んでいること」「関心を持っていること」と「そのために行動すること」はまったくといっていいほど別のことだ。

失敗が起こる原因はこんなところだ。

つまり、マーケターは「顧客はこういう悩みや関心を持っているであろう」と推定する。そしてそれをアンケート調査や市場調査で裏付けようとする。

消費者側から見てみよう。たとえば、「健康的な食生活に関心がありますか?」「食生活の悩みはありませんか?」と問うたとする。

こう問われれば、「関心はある」「コンビニ弁当で済ませることが多いのが悩みだ」といった声は集まるだろう。

そしてマーケターは、「やはり推定したとおりの悩みや関心があり、市場にニーズがある」と判断する。

だが、その悩みや関心は「本当に解決が必要」であり、「行動を起こそうと思う」ものなのだろうか?この思考が抜けてしまうことは、非常に恐ろしい勘違いへの入口だ。

多くの場合、私たちは日常において多くの悩みや関心事を抱えており、それ以上に多くの情報にさらされている。

したがって必然的に、自分の限られた時間を「本当に必要なこと」に充てざるを得なくなるし、「行動する対象となる悩みや関心事」はほんの一握りに過ぎない。

つまり人は、マーケターが想像する以上に「悩んでいるからなんとかする」わけでもなければ、「関心を持っているから行動する」わけでもない。

これはマーケティングに携わっている人自身が実際そうであるはずだ。

「体重が増えたことに悩んでいる」と言いながら、毎日のように「ダイエットは明日から」と言っているその人が、どうして「顧客は悩んでいるから、この商品を買うはずだ」と考えてしまうのだろうか?

「伝えるべきなのは自分たちのすばらしさだ」

そうだ、ブランドだ。今の時代はどのようなブランドイメージを構築するかが重要であり、マーケティングにおいて行うべきなのは、「自分たちのすばらしさをどのように伝えるか」なのだ。

――本当にそうだろうか?――

つくりあげられたブランドイメージ、そして考え抜かればブランドメッセージはすばらしい。たしかに多くの人がそう思う。

では、あなたがそれを見る時、どう感じるだろうか?

そう、それは確かにすばらしいし、時には美しいとさえ思うかもしれない。…他人事として。

情報を洪水のように浴びせられている現代、「私のすばらしさを知ってほしい」と企業やブランドがあの手この手でメッセージを発することに、人々は慣れている。もっといえば、飽きている。

それは心に響かないで、通り過ぎていくただの映像や音として処理されている。もっとも、人の潜在意識に訴える意味では、それも意味がないわけではないだろう。

だが消費者が関心を持っているのは、自分や自分を取り巻く世界のことだ。その世界に寄り添う存在として認められることこそがブランドには必要であるはずだ。

少なくとも「ブランド自身が思うブランドのすばらしさ」が、大きな役割を果たすと期待することには意味がないように思える。

マーケター自身が多くのブランドからのメッセージを受け流し、CMをスキップして録画したドラマを見ているのに、なぜ「自分たちのすばらしさを伝えればいい」と考えてしまうのだろうか?

「データはうそをつかない」

デジタルマーケティングと呼ばれる領域がマーケティングにおいて重要になるにつれ、データの重要性もまた大きくなっている。

いまや、デジタルの世界ではあらゆるユーザー行動のデータが取得でき、あるいはオフラインでの行動を追跡することさえ可能になってきている。

しかし、だからこそ「データが真実を語っている」という錯覚を起こす危険もまた、高くなっているのだ。

たとえば、同じようにインターネットで商品ページを見、クチコミを確認し、店頭で購入したとしても、人によってその動機は異なることだろう。

また、同じ人であってもタイミングによって動機は異なるだろう。データに現れている事象は同じでも、その背景が異なれば、認識すべき全体像は異なってくる。

統計的な情報、定量的な情報は多くを教えてくれる。だが、うそをつかないわけではない。データは正しく活用すれば有用だが、万能ではないのだ。

考えてほしい。マーケターが見るデータの情報源となっている、人という生き物自身が「自分が何故それを購入したのか」その理由すらうそをついているとしたら、どうだろうか?

「たまたま店頭で見かけたので」買ったとある人は言うかもしれないが、実際には「昨日テレビでCMを見たこと」がトリガーとなり、店頭での行動を誘発しているのかもしれないのだ。

そもそも、マーケター自身が消費者として活動している間の行動や思考のすべてが、データに反映されているのだろうか?

そうでないならばなぜ、「データはうそをつかない」という前提で、データに答えを求めようとするのだろうか?

誤解のないように言い添えておくと、データが悪いのではない。データの活用の仕方を間違えることが悪いのだ。

そしてデータの活用の仕方を間違える理由は往々にしてこの「データはうそをつかない」という幻想とも過信ともいえる思想にあるのではないだろうか。

「施策の結果は施策が決める」

日本においてとくによく目にするのが、施策ベースで組織や担当者が分かれているというパターンだ。それ自体というよりも、そのことが「施策を施策で振り返る」ということにつながっていくと、大きな失敗の原因となり得る。

これについては、戦史を紐解いていくと容易に理解できることだ。ものすごく大雑把に解説してしまうが、凄惨を極めた太平洋戦争での沖縄戦を例にあげよう。

沖縄戦は1945年3月から開始されたアメリカを中心とする連合軍の侵攻に、日本軍が立ち向かった一戦だ。民間人も多数巻き込まれ犠牲となったが、結果として沖縄失陥し、太平洋戦争はその後数ヶ月で日本が無条件降伏することとなる。

では、この沖縄戦の敗北は、この一戦の指揮や戦術が本質的な原因なのだろうか?

そう考える人は少ないだろう。むしろそこに至るまでにすでに太平洋戦争全般の流れとして、日本軍が勝てる見込みがほぼない状況になっていたことが、本質的な原因であることは明らかだ。

戦略的に劣勢に立たされ、南太平洋の拠点を失った結果、沖縄での地上戦に至らざるを得ないまでに追い込まれていたこと自体に問題がある、というのは、容易に理解ができることではないだろうか。

それを「沖縄戦を沖縄戦で振り返り」、士官の指揮や兵員の配置を見直すことに、どれほどの意味や価値があるのだろう?

と、ここまでの話はあたりまえのことを言っているように思えるかもしれないが、「沖縄戦を沖縄戦で振り返る」ということが現実には多く起こっているのがマーケティングの世界だ。

もちろん、「施策を施策で振り返る」こと自体が悪いのではなく、それも必要なことだ。だが、施策に至る流れを踏まえた上でそうしなければ、ほとんど意味のない振り返りになってしまうのもまた事実だ。

施策を振り返る際には、そもそもの目的、目標設定、市場認識や戦略など、施策に至る流れを整理し、「勝った要因」「負けた要因」となっているポイントを明確にすることが重要だ。

そもそものターゲットが間違っているのにクリエイティブを振り返るのはナンセンスだし、思っていたほど市場が大きくなかったのに売上数を伸ばす施策の失敗だと位置づけるのは早計だろう。

「あんな施策やったって効果出ないって言ったのに…」とぼやくあなたが、「施策の結果は出ませんでした、CPAが想定より30%悪く…」という報告をするのはなぜだろうか?

(できるかできないか組織に働くパワーバランスの話は一旦置いておいて)「そもそもこの前提に対しこの施策は効果が出ないものと思われます、実際の結果としても…」という議論を行わなければ、次にもまた同じ悲劇が起こるばかりだろう。

本当は施策以外に問題があるのにもかかわらず、表面的な施策にばかり注目していては、この変化が早い時代に生き残ることは難しいだろう。稀に見る幸運を除いては。

誤解や勘違いのワナ、本当に怖いのは…

ここまで、いくつか思い当たる、「自分がしないことを消費者に求める」ことにつながる誤解や勘違いの例をあげてみた。

だが本当に怖いのは、ここにあげた誤解や勘違いを「誤解や勘違いだ思っておらず、そんなものだと思っている」という状況だ。

わかりやすく言い換えるとそれは、「自分は買わないけど消費者は買う、そんなものだという前提で行うのがマーケティングだ」と言っているのと同義だろう。

何かがおかしい、と感じたら「自分が消費者だったらこれを買うか」というシンプルな考えに立ち戻ってほしい。そのことに真摯に向き合うだけでも、多くのヒントや示唆が得られるのではないかと、僕は思う。

カトウマモル

セキュリティエンジニア、社内SE、社内システム&マーケティング・広報担当マネージャー、コンテンツマーケティングのコンサルタントなどを経て、現在は奄美大島でリモート幽霊社員生活を満喫中。

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