マーケターになりたいが、どうすればいいか。
そんなことを聞かれることもあるのだが、「なりたいならなればいい」としか答えようがない。
「マーケティングをやりたい、マーケターになりたいという人は信用できない」と語る人もいる。
その人にどんな悲しい体験があったのか、あるいは出会いに恵まれていないのか分からないし、信じるかどうかは人の自由だ。
だが歴史が教えていることは「なりたいということと向いているかどうかということは別だ」ということではなかろうか。
王になりたいと願ってなれなかった人も多くいるが、歴史に名を残した人もいる。将軍、参謀、政治家、実業家も然りであって、マーケティングを生業とする場合でも大差はないだろう。
僕はそう思うのだが、マーケティングとは言ってしまえば商売だ。
商売、と考えれば、マーケティングを仕事とするために、マーケターであるために必要な条件なんてものはないし、なりたければなればいい。そういうものだ、としか言いようがない。
しかし一方で、いわゆる「向き不向き」があるのは事実なのだろう。「商売上手だ」「商売下手だ」とそれぞれ言われる人が存在してきたことは否定し得ないし、おそらく今後もそのように分かれるものなのだろうということに特に異論の余地もない。
というわけで今回は、「どんな人が向いているのか」という観点でマーケティングという仕事を、マーケターを捉えてみたいと思う次第だ。
本番のためなら、つらい練習でもがんばれる人
たとえば、1度の本番のステージのためのつらい練習を乗り越えてきただとか。
たとえば、インターハイや甲子園のような大舞台をめざすために地道な練習を積み上げて挑戦しただとか。
そういった経験がある、というよりは、そういった練習が苦にならない、あるいは得意であればそれは「向いている」要素のひとつだろう。
マーケティングというのは、言葉や響きから一般的に想像されるような、華やかできらびやかな(だけの)仕事ではない。
たしかに、社会的に話題になる広告やメッセージを発することができるチャンスはある。だが、その内実は緻密な思考や詳細なデータの分析、社内外の細かな調整、スケジュールに追われ続けながらの準備といった、地道で泥臭い、そして時につらく厳しい積み上げが必要な仕事が多くを占めている。
そうした地道な積み上げや、時に失敗の上に、大きな成功や、社会的なブーム、流行の創造といったいわゆる華やかな結果が生まれていく。
大きな目標に向けて、つらくとも苦しくとも努力を惜しまず、妥協せず取り組める力は、マーケティングにおける重要な適性のひとつといえるだろう。
「信長の野望」「三国志」…のようなストラテジーゲームが好きな人
べつにシヴィライゼーションでも構わない。
そういえば以前、とある著名なマーケターがこんなことを言っていた。
「信長の野望をリアルにやれる。しかも実際の戦争なら負けたら死ぬことになるが、マーケティングやビジネスは負けても死なない。こんなにおもしろいことはないと思ってやっている。」(意訳)
要するに、ストラテジーゲームにおいてたとえば「天下統一」という目的に向かって戦略を立て、戦術を駆使して戦略を実現していく流れは、マーケティングゴールに向かうマーケターの仕事を大いに重なる、とも言えるわけだ。
まあ、この考え方には異論もあるかもしれない。
だが、「戦略的思考」あるいは「マーケティング思考」と呼ばれるものが、マーケティングを仕事とするのであれば重要であることは、ほとんど異論の余地がないものだろう。
そしてその思考の型を築き、鍛えるのにストラテジーゲームというのは良いトレーニングになると思う。逆にいえば、こうしたゲームが好きな人は、「向いている」要素をどこがしかに抱えていると言って良いだろう。
「どうして君を好きになってしまったんだろう?」と考えられる人
「どうして君を好きになってしまったんだろう?」と韓国の有名男性ボーカルグループが歌い上げてから早10年以上の時が経過したが、この曲のタイトルにある疑問に共感できるということも、ひょっとすると「向いている」要素かもしれない。
「人はなぜ○○を好きになるのか」という疑問は深遠だ。
マーケティングやブランドの世界においてはこの、答えがないようにさえ思える問いと向き合い、「自ブランドを好きになってもらい、選んでもらい、買ってもらう」ためにどうするかと向き合わなければならない。
逆にいえば「好きになり、選んでもらい、買ってもらう」ための原点は「どうして好きになってしまうのか」に対する(少なくとも自分なりの)なんらかの解あるいは仮説となるはずなのだ。
「好きな気持ちなんて説明しようがない、好きなものは好きなんだ」ではなく「どうして君を好きになってしまったんだろう?」と考えられること。
これはマーケティングに対する適性のひとつといえるのではないだろうか。
トレンド本より「○○のバイブル」が好きな人
もしくは、本当のバイブル(聖書)でも構わない。
これがどういうことかというと、マーケティングにおいてもトレンドというものは発生し得る、というか、比較的移り変わりが激しい世界といえるだろう。だからトレンドは重要だ。トレンドをおさえること、あるいはトレンドに乗り遅れないことが必要なシーンも出てくる。したがってトレンド本を読むことが悪いわけではない。
しかしマーケティングにおいてより重要なのは、トレンドではなく顧客や市場の本質であり、時代とともに移り変わらない部分だ。より大きく成功を遂げているのは本質と向き合い、「トレンドを生み出す側」にまわった人々だ。
もちろん、誰もが「トレンドを生み出す側」に回れるわけではない。それでも普遍的で本質的な部分をおさえたうえでトレンドと向き合うのと、ただ時々のトレンドを追いかけるのは、まったく異なることだし、どちらのスタンスが最終的に成功を掴み取りやすいかといえば、やはり普遍的で本質的な部分への理解や洞察がある側であろうことは、想像に難くない。
移り変わるトレンドよりも「○○のバイブル」というような、普遍的な知識やそこから学べる物事の本質により重きを置く考え方を持っているなら、それは「向いている」ということではないかと、僕は考える。
コスプレや演技、妄想が得意な人
「もし、私が○○だったら。」
我々ひとりひとりが見ている世界は、各自の都合よく解釈されている。
そう、――自分では自分が正しく世界を見ていると考えていても――「自分が見ている世界」が正しいとは限らない。それどころか、顧客が見ている世界と自分が見ている世界が乖離してしまっていたりすると、マーケティングが成功する確率は限りなく低くなっていくだろう。
だからこそ、「他人の立場になって考えられる、物事を見ることができる」という能力は重要であり、貴重だ。
コスプレでもいい、演技でもいい、または妄想癖があるというのもこの場合においては武器となるかもしれない。
「自分ではない誰か、何か」の立場に立って、その人の思考や感情そして行動を再現できる、あるいは想像できる。
その再現や想像のレベルが高ければ高いほど良い。ひょっとすると単なる趣味やちょっとした経験、あるいは誰にも言えなかった妄想が、マーケティングの適性につながるスキルなのかもしれない。
結局はやってみなければマーケティングに適性があるかなんて分からないんだから
マーケティングというものは、定義そのものがさまざまであることがあるほどで、ちょっとTwitterを覗くだけでもさまざまな考え方、見方、意見を目にすることができる。
つまりこの考察も、あくまでひとつの考え方や可能性の提示に過ぎないということであり、なんだかんだと言っても結局のところ適性があるなしは、結果が証明するものだ。
FWで起用されて点が取れなかった選手はストライカーの適性がなかったということだろうし、FWで起用されて点を取ればエースストライカーとして認められる。
不公平なようにも見えるが、世の中とはそういうものなのだろう。
だから「マーケティングやりたい。でも自分に適性があるか分からない」と迷う人は、まず「(自分がマーケティングの仕事としてイメージする)マーケティングの仕事をやってみる」ところから始めればいい。
その結果が、あなたの適性を証明する。
勘違いしないで欲しいが、ここでいう「結果」とは「目標達成できるかどうか」「数字が残るかどうか」といったことだけを指しているわけではない。むしろ最初はまず「仕事が苦ではないか」「考え方や取り組み方に違和感がないか」といった感覚的な部分を大切にするほうが良いだろう。
継続は力なり。苦にならず、考え方や取り組み方を継続してブラッシュアップしていくことができれば、大なり小なり、自分なりの成功は掴み取れるはずだ。
まずは、やってみよう。