日本においてはともすると「ブランディング」と「マーケティング」は別のものとして語られがちだ。組織体からして異なることもめずらしくはない。
つまり、ブランドはブランドマネジメント担当もしくは広報、マーケティングは広告宣伝もしくは販促の担当部署の管轄となっており、縦割り組織においては不可侵の領域である、というしくみだ。
これはおかしい。どう考えてもブランドマネジメントはマーケティングの――百歩譲って、コミュニケーションの――一部であるはずなのに。
ああ、そうだ。
日本における「マーケティング」の定義は多くの場合、「広告宣伝」という狭義の定義なのだった。嘆かわしいことだが、この事実を認めれば、「ブランディング」と「マーケティング」が別のものとして語られるとしてもつじつまがあう。
だが、本当にそれでいいのだろうか。
マーケティングが成すべきこと
今更の話だが、マーケティングとは何だろうか。この問いに対する答えが、多岐に渡ることが問題なのだが、マーケティングに求められることが何か、と問えば、この問いに対する答えはおおよそ変わらないであろう。
そう、マーケティングに求められるのは「売上を上げること」だ。それも、できるだけ効率良く。
では、マーケティングが成すべきことは何だろうか。
マーケティングが成すべきこととは、「継続的に売上を上げられるようになること=しくみづくり」だ。
この本質を捉えられていないと、「マーケティング」の定義は「広告宣伝」という狭義の定義の域を脱さない。広告を打ち、宣伝し、売上を上げることは、マーケティングの一部にしか過ぎないというのに。
企業が企業であろうとする限り、売上を上げることが必要だ。だからマーケティングが企業には必要になる。
そして企業を取り巻く環境は日々変わる。その中でマーケティングに求められること――売上を上げること――は変わらない。
だからこそ、継続的に売上を上げられるよう、しくみが必要になるのだ。「一時的に」とか「ラッキーで」売上を上げたとしても、本質的なマーケティングの成功であるとはいえない。
もっとも、毎回「一時的な」売上を作ったり、「ラッキー」を起こせるのであれば、それはそれで良いのだが、毎回起こせるのであればもはやそれはしくみと言えるだろう。
変わり続ける環境の中で、変わらず求められる「売上」というモンスターと戦い、勝ち取るためにどうするか。最適解かどうかは分からずとも、戦い、勝てるシステムを構築すること。これこそがマーケティングが成すべきことだ。
一度モンスターに勝ったからといって、次も同じように行くとは限らない。そして、勇者が死んでしまえば、ゲームオーバーを迎えることにさえなりかねないのだ。
マーケティングにおいてブランドマネジメントが重要である理由
さて、マーケティングが成すべきことを理解したならば、ここからが本題だ。つまり、ブランドマネジメントとマーケティングの関係性についてだ。
結論からいえば、ブランドマネジメントにより、顧客に「買いたい!」と思わせること、これこそがマーケティングの本質であり、これは縦割りや分断すべき話ではなく、一連の流れであるということだ。
顧客はわがままだ。基本的に、自分のことにしか興味がない。自分が欲しいかどうか、自分にとって必要か、自分にとって妥当な投資か…。
マーケターの差し出すメッセージや広告は、こうした「自分の必要や欲求」と重なって初めて、顧客にとって意味を持つのだ。
自分のことしか考えない、自分に必要がなければ買わない顧客。彼らがどんなタイミングで必要を感じ――あるいは衝動的に、あるいは論理的に――購買に至るのか。
これをすべて解き明かすには、脳科学が脳のすべてを暴くまで、時を待たねばならないだろう。一説によると、人間は情報の最大95%を潜在意識下で処理するといわれている。
要は「買った本人にも買った理由はすべてはわからない」のだ。だから、アンケートや市場調査は一定の意味を持てど、参考情報にしかなり得ない。もしそうでないのなら、きちんと市場調査をしたうえで送り出される限り、世の中の新商品・新サービスは百発百中になっておかしくないのだ(実際には80%は失敗に終わると言われている)。
そこで、ブランドだ。ブランドによって顧客の潜在意識にアプローチし、顧客が「選んでしまう」「買ってしまう」無意識的な連想を構築すること、これがブランドマネジメントの本質だ。
だからブランドとマーケティングは、切っても切れない。いやむしろ、マーケティングの本分はブランドマネジメントにあるとさえ言える。
マーケティングに携わるなら、ブランドに精通し、自社――そのサービスやプロダクト――が、「選ばれる」ようブランディングを進めることは、とても重要なことではないだろうか。
マーケターが取り組むべきブランドマネジメント
だから、言い換えるなら、「ブランドマーケティング」という言葉はおかしいと僕は思う。なぜなら、ブランドはマーケティングに取って不可欠なものであり、マーケティングの一手法にとどまるものではない――むしろ、ブランドはマーケティングの上位に位置する概念だ――からだ。
では、マーケターはどのようにブランドと向き合うべきなのだろうか。僕が思うに、本質的な部分は同じだ。つまり、「価値の最大化」だ。
ブランド・エクイティを以下に最大化するか。このことに正しく取り組めば、結果的に「売上を上げる」というマーケティングの使命は達成できるはずだ。
では、「価値の最大化」をどのように図れば良いのか。単純化すれば、「ブランド価値の高さ」と「ブランド認知の広さ」で成り立つ面積を最大化すれば、それこそが「価値の最大化」であるはずだ。
そして、この「ブランド価値の高さ」もまた2つの側面から成り立つ。それは「期待」と「実質」だ。
期待値が高ければ高いほど、それに対して許容される費用も高くて良くなる――つまり、売上(の単価)を上げやすくなる――。ただし、期待値だけが高く、実質が追いつかない場合はその価値の高さは一時的なものに終わり、継続しないだろう。
世の中、悪いうわさというのはすぐ広まるものだ。信用を失う時は一瞬であり、一度失った信用を取り戻すことは容易ではない。
つまり、ブランド価値の高さの2つの側面――「期待」と「実質」――は、双方ともバランス良く伸ばしていく必要があり、それこそが価値の最大化に通じる。実質があるのに期待が低く、実際の価値ほど認められないのもまた、価値の毀損が生じている”もったいない”状態であり、価値を最大化できているとは言えないのだから。
このブランド価値の高さをどれくらいのものと感じているかは人によって異なることが多いだろう。最終的にはその高さが高かれ低かれ、「価値がある」と感じてもらえる対象、それこそが「ブランド認知の広さ」と定義されることになってくるともいえる。
こうして、ブランド価値を最大化させていくことと向き合うことが、昨今のマーケターにはなによりも求められていることであり、「ブランド」を後ろ盾とした再現性のある「売れるしくみ」づくりこそが、本質的に取り組む必要のある点だと僕は思う。
ブランドが突きつけるマーケティングへの課題
さて、ブランドマネジメント、そしてブランド価値の最大化をマーケターが推し進めなければならないとして、1番課題になるのは何だろうか?
それは旧態然とした「マーケティング(=広告宣伝)」の業務範囲であり、それを生み出す硬直化した会社組織の在り方かもしれない。
ブランドをマネジメントしその価値を最大化しようとすれば、これまでのいわゆる「マーケティング部」の領域よりも広範囲に渡る活動が必要であり、成功させるためにはすべてを戦略的かつ一貫性をもって取り組む必要がある。
こうした状況において、旧態然としたマーケティングのやり方や組織の在り方は邪魔になるだけなのだが、多くの企業ではそう思うように改革が進められることはないだろう。むしろ改革の必要性を理解できる人間すらそう多くはないかもしれない。
マーケターにとっては残念このうえない話ではあるが、現実は厳しいということは予め予想しておくようにしよう。
くわえて、マーケター自身に求められるスキルも大きく変わることになるし、実際変わってきているといえるだろう。
これまではどちらかといえばデータマネジメントが重要視される傾向が強かったが――もっとも、データが重要なのはこれからも変わらないが――、今後はよりコンテンツ、そしてコンテキストを編み、ブランドメッセージを発信する能力の高さが求められるようになることだろう。
僕が思うに、これからの時代のマーケターは――もっとも、これまでもそうであったのだろうが――マーケティング×○○といった、マーケティングの専門家でありながらも本来の専門分野を別に持つような、専門分野を複数持てるようなカタチのスキルが求められるのではないかと思う。
IT、統計学、経営、営業、戦略、心理学、デザイン、ライティング…等、マーケティングと掛け合わせることのできる選択肢は幅広いことだろう。
マーケターをめざすのであれば、「無駄な経験はない」のかもしれないし、マーケティングの経験ばかりを積む必要もないのかもしれない。マーケティングに携わる前に、自分の武器となるスキルをひとつ身につけておくことは、ブランドマネジメントが重視されるであろう今後のマーケティングにおいてはより価値のあることとなるだろう。
そして、マーケティングとブランディング、そしてブランドの本質を正しく理解すること。スキルを身に着けても、正しくそのスキルを活かさなければ、その方法を悟らなければ、成功は望めないのだ。
とりとめのない話になってしまったが、マーケティングやブランディングに悩む人にとって、少しでも参考になればうれしく思う。