働き方改革をしたいなら、生き方を変えよう。南の島で描く新たなライフスタイルとワークスタイル。

働き方改革をしたいなら、生き方を変えよう。南の島で描く新たなライフスタイルとワークスタイル。:アイキャッチ

ここ最近、ブログの記事を書く暇がなかったのは、僕がさぼっていたからばかりではない。

まあ、そういう部分もあるにはあるのだが、いちばんの理由は、移住・引っ越しという一大イベントを迎えていたことにある。

そう、11年過ごした首都圏を離れ、今は鹿児島県の南方、沖縄と九州の中間に浮かぶ奄美大島に住むことになった。

実は僕は会社を辞めるつもりで、ライフスタイルを変えようと思っていたのだが、紆余曲折あって結果的には同じ会社で、ワークスタイルも変えることになり、狙ってはいなかったのだが「働き方改革」を実行することになったのだ。

仕事が嫌い。サラリーマンには向いていない。そう自覚しつつ、サラリーマンになる。

仕事が嫌い。サラリーマンには向いていない。そう自覚しつつ、サラリーマンになる。

そもそも僕は仕事が嫌いだ。組織には向いていないし、サラリーマンなんてのは元来の気質に合わないからストレスにしかならない。

そう分かっていながらも僕が東京に出たのは、「サラリーマン」になるためだ。

若かりし頃。フリーターをしていた学歴がない(高卒の)僕は、そのハンデを埋めるためには、「技術」や「資格」が必要であると考えた。

いくらかの分野を試したのだが、ハマったのはPCであり、あるいはシステムエンジニアの分野だった。

そこで基礎的な「資格」を取得した後、次に「技術」を身に着けようと思った。しかし、ここで問題が生じる。

僕が住んでいた神戸では、この「技術」を身に着けるために必要な「現場経験」を積める場所の選択肢があまりにも少ないのだ。

システムエンジニアとしての「技術」そして「現場経験」。これらを身に着けるには、東京に出て、システム会社に入るのがいちばんだ。

そうして、たまたま僕を拾ってくれる会社と出会い、僕は東京に来て、「サラリーマン」になった。3年くらいキャリアを積んで、何かの分野の技術を身に着ければ、そのあとはなんとかなる、そしたらサラリーマンを辞めて地元に帰ろう、なんて思いながら。

「サラリーマン」の生活は苦痛だった。新人の時代なんてなおさらだ。エンジニアとして常駐派遣されると、自社への貢献と派遣先の貢献の矛盾に悩むことにもなった。

ありがたいことに、僕は一緒に働く人や上司にはなぜか恵まれた。だから、サラリーマンとしては快適な方だったはずだ。にもかかわらず、苦痛は苦痛だった。

一方で、技術を身に着けるという意味では、セキュリティ分野の当時最先端のプロダクトを担当し、設計・構築・運用保守をワンストップで行えるという貴重な経験を積んだ。省庁の案件、空港の案件なども経験し、想像以上に早く成長した。

そして、僕は3年経たず、2年弱で最初の会社を辞めた。でもその結果として、サラリーマンをやめるわけでもなければ、東京を離れたわけでもない。いわゆるただの転職だった。

サラリーマンとしての苦闘は続く。そうして迎える転機。

次の会社では、社内システムの担当になった。30人くらいの、小さなコンサルティング会社だった。

だが会社が小さかったこと、そして上司が優秀で出世していくことが、僕のサラリーマン人生を大きく変える。

7年ほど在籍したこの会社で、いつのまにか僕はエンジニアから、マーケターになっていた。幅広い業務を任されたことと、上司が役員となり、システムもマーケティングも経営視点から捉え議論するようになったことで、一気に視野は広がり、視点も上がった。

皮肉なことに、この会社における成長が、サラリーマンに向かない僕のサラリーマンとしての基盤を作っていった。

だがそれでも、サラリーマンに向いていない、組織に向いていないことに変わりはない。理不尽な組織の論理に、社内からの圧力に、不当な評価に、ストレスは溜まり続けていく。

とはいえ、素晴らしい上司と、一部の理解者に恵まれていたことで、僕のサラリーマン人生が大幅に延命されたのはまちがいない。

何気なく、なんとなく、だが、きっとこのままサラリーマンを続けるのだろう、そんなことを思っていた。

一方で、このままサラリーマンを続けるのであれば、なにかが物足りない、自分の市場価値を高めるためのコアスキルがなにか欲しい、そう感じてもいた。

30前後で多くの人に訪れる、自らのキャリアへの迷い、疑問、不安…。

その中でもがく中、ふとした出会いから、転機が訪れる。きっかけは、2度めの転職だった。

「そうだ、サラリーマンやめよう」を生む原点回帰。ライフスタイルを変える決断。

「そうだ、サラリーマンやめよう」を生む原点回帰。ライフスタイルを変える決断。

スタートアップに転職した僕は、圧倒的な業務量と戦うことになった。社員数は一定規模になっていたが、整備されていないことが多くてあたりまえの状況。

自然、すべてのソリューションを手動で、もっといえば力技で乗り切らなければいけない。家に帰ってから深夜まで働くことも、土日も仕事詰めになることも当然の環境にいるなかで、僕の思考は、忘れかけていた原点に立ち返り始める。

それを受け入れて働き続けられるほど、「サラリーマンに向いていない」のだ。

原点へと動き出した僕の思考に追い討ちをかけたのが、当時付き合っていた彼女との結婚だ。

結婚したものの、彼女は彼女で美容師として1日の拘束時間が12時間を超えることが当然という仕事をしている。そのうえ、土日祝がかきいれ時だから休日はまったく合わない。

結婚して一緒の家に住んでいるものの、一緒に過ごせる時間は極端に少ない。

そんな環境が半年ほど続いたなか、固まった休みの期間が訪れる。いわゆる、ゴールデンウィークというやつである。

ゴールデンウィーク明けに5月病になる、なんて話はよくあるが、僕の考えはより深刻なものだった。

そもそも僕は、東京にいることも、サラリーマンでいることも、3年程度の予定だった。それが10年を越え、当たり前の環境となり、慣れてしまって思考停止していたのではないだろうか?

本当にこの生活のままで、時が過ぎていって、あとで後悔しないのか?

いま、自分はどう生きたいと思っているのか?

自分の希望を実現するために、どう行動するべきか?できない理由はあるのか?

…など、実際にはもっと多くのことを考えていた。なにせ、世間はゴールデンウィークだが、とくに家族で出かけるなどということはないのだから、逆に言えばいくらでも考える時間はあるのである。

結論からいえばこうである。山の中で育ち、「東京という大都会に移住」してきた。今度は海だ。海のきれいな場所、つまり離島で、島時間とも呼ばれるゆったりした時の流れの中で暮らそう。

時間をゆったり使うことこそ、人生における贅沢であり、それを叶えるなら、島国に生まれた以上、海に囲まれた環境で生きてみたい。そう思ったのだ。

かくして僕は会社を辞め、南の島に移住する準備を始めることにした。

生き方を変えようとしたら、結果的に働き方が変わることに。覚悟は人生を変えるが、向いていないサラリーマン生活は続く。

会社にその意向を伝えると、代表から意外な回答が返ってきた。

「そういう人も応援する会社でありたい。そのための制度を整えたいと考えていたので、この機会にその制度に乗っかってほしい」と、まあ、裏側で色々なやり取りはあったのだが大雑把に言うとそういう返事だ。

僕としてはこの機会に向いていないサラリーマン生活にも終止符を打ち、一気にライフスタイルを変えたかったのだ。

しかし一方でーー自分で言うのもおかしな話かもしれないがーーサラリーマンにも向いていない、大した実力もない人間のことをそこまで考えてくれることに、恩義を感じないほど不義理な人間でもない。

いくつかの調整事項をクリアする必要はあったが、数ヶ月のうちに、労働時間を限定した社員として、会社で仕事を続けながら、移住準備を始めることになった。

当然それに伴って給料は大幅に下がったのだが、なんとか生活はできる。そのうえ、月に1箇所は移住先の現地調査が可能となった。

こうして、生き方を変えるための取り組みは結果的に、働き方改革につながったのだ。だがこれが、単に「働き方を変えたい」という話であれば、こう進んだかは分からない。

結局のところ「生き方、ライフスタイルを変える」決断と覚悟が、結果的に呼び寄せたのがワークスタイルの転換であったのではないか、と僕は思っている。

もっとも個人的にはいまだに「向いていないサラリーマン」を続けることになった戸惑いはあるのだが、理解を示し、いまだに応援してくれている会社・代表にはとても感謝している。

南の島で描く、「これから」の話。

南の島で描く、「これから」の話。

こうしていくつかの候補地を選定し、移住イベントや、候補地の現地調査などを経て、奄美大島に移住することとなり、約1ヶ月が過ぎた。

僕の会社とは180度異なる、冷たく不親切で不誠実な妻の所属していた会社のアプローチのせいで(この件に関しては僕はあの会社を許すことはないだろう)、当初の予定よりも移住は大幅にずれ込んだが、ようやく落ち着いたというところだ。

今のところ僕は、労働時間を限定した社員の立場を続けていて、フルリモートでできる仕事を任せてもらっている。

周りのメンバーや代表に負荷をかけてしまっている部分があると思うが、お互いに慣れていけば徐々にその点も解決していくのではないかと期待している。

これからこの奄美大島で何がしたいのか。やってみたいことはたくさんあるが、まずひとつは、奄美大島を今の会社にうまく活用してもらえるしくみを作ることだ。

たとえば、一定期間のリモートワークの制度化などができるとおもしろいだろう。東京にだけいると、どうしても視野が狭くなりがちだし、時間に追われ、都会の環境に追われがちだ。

まったく異なる環境に身を置く体験は、きっと仕事にも生きるはずだし、それを検証するためにも、ぜひ今の会社でその点を試行できればと考えている。そのためには僕が実績を作っていかなくてはいけないのだが。

もうひとつは、奄美大島と東京の間の、ヒト・モノ・カネ・情報の流通を司ることだ。これは当然、Win-Winの関係になる必要があるし、まずは島で僕がネットワークを作らなくてはいけない。

だが、離島に限らず、地方が活性化していくためには、東京に一極集中しているものを、少しでも地方に移していく必要があると僕は考えている。

そもそも、これだけ情報通信が発達した時代であるにもかかわらず、多くのビジネスが地理的な制約に縛られすぎているのではないだろうか。

もちろん、さまざまな条件が整う必要があり、時間はかかるだろう。だが、この部分はぜひ個人的にでも進め、少しでも島にとって良い状況を生み出すことができるようになりたいと思っている。

最後に。30前後の世代になれば、僕が迷ったように、自分の生き方や働き方、ライフプランやキャリアプランについてさまざまなことを考えるだろう。

そういった中で、都会ではない、異なった環境に身を置きたいとか、経験してみたい、という人も少なからずいるのではないかと思う。

そういう人がいれば、ぜひ一緒に、奄美大島でいろんな新しいチャレンジをしてほしい。別に移住したら永住しなくてはいけないわけではないのだから、一度体験してみよう、とか、挑戦してみよう、というくらいの気持ちで良いのではなかろうか。

そんなわけで、仲間になってくれる人を大募集中だ。
連絡はこちらから。ぜひ。

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